英国の学校教育−−1993年・秋

(26)一番悲しかった夜

 この日の最後はYear9で教育実習生ジョンの授業でした。日本の教育実習といえば,期間も2週間くらいで,前半は指導教官の授業を観察し,夜中までかかって指導案を書き,後半は緊張しながら生徒の前に立つ,という感じですが,イギリスの実習生は自信をもって生徒の前に立っているように見えます。生徒の前に立つというより机に腰掛けたりしています。
 もっとも,やはり自分が生徒だったときとは勝手が違うようで,これより前に会った別の実習生は「驚きの連続」と表現していましたが,それでも現場で積む経験の量が日本の実習生とは全くけた違いです。その分,教員になってからのショックは少ないかも知れません。 

 授業の中身ですが,ウェールズ南部のある町が時代とともにどのように変化したかを調べるというものでした。日本なら,高度経済成長前の1950年代と現代を比較するという感じですが,そこはイギリスのこと,比較の対象は,1750年代と1900年という具合に,スケールが大きい,というか年代が長いのが興味深いところです。街の大きさ,仕事,健康,住居などの条件ごとに比較していくわけです。生徒は,それぞれのレポート用紙に「HOUSING」などのタイトルを書き,絵を描いていきます。ここの生徒は,私が見る限りでは筆記体というものをめったに使いません。ボールペン,それも決まって青色のボールペンで,一字一字力を込めて書いています。すべてをサラサラと文章で書くのはそれほど得意とは思いませんが,イラストや自分で集めた資料を使って総合的に表現することには幼い頃から親しんでいます。日本の学校が,学年が上がるにつれて文字や文章で表現することを偏重するのと少し違います。 

 さて,セントアンズの街に戻り,街の中を歩きました。今日はアランがブラスバンドの練習で遅くなるので,雑誌でも買おうと思い,ある店に入ったのです。客は私1人。店番はおばあさんが一人。雑誌を少し立ち読みしているうちに近所の人が入ってきて,おばあさんはにこやかにあいさつしています。その客が出ていったあと,私が品物を持ってレジへ。私が「ハロー」と言ったのに彼女は無言。おまけに私が間違えてコインを少なく出していて,「足らないよ」と冷たく言われ,お金を追加して帰りぎわに私が「サンキュー」と言っても相手は無言。アランのアパートまで帰る夜道の風が,ひどく冷たいものでした。たくさんのイギリス人と接してきて,どの人も他人に対して愛想がよかっただけに,このおばあさんの愛想の悪いのは,これは悲しかったです。 

 夕食の時,いつもよく話す私が無言なので,アランが心配して「今日はどうしたの,静かだね」と聞いてくれました。言おうかどうしようかと少し迷って,結局夕方のできごとを話すと,「いったいどこの店だ」と声を荒げ,私が「もういいよ」と言うと,「きっと彼女は疲れていたんだと思う。どこでもあることだよ」と慰めてくれたのでした。 

 日本人は「同じ島国」などとイギリスに親しみを持ちますが,イギリス人はそれほどまでには日本に親しみを持っているわけではないし,大体,イギリスが島国だと思っていない人も多いのです。(これはもちろん,地理上の知識がないという意味ではなく,自分の国がもっと大きな中心的存在だと感じているということです)
 また,日本がかつてイギリスと戦争をし,当時日本の捕虜になったイギリス人に深い傷を残してしまったことを忘れてはならないと思います。あのおばあさんも,あるいは日本に対してつらい思い出があるのかも知れない,と今思うのです。しかしあのおばあさんのことを考えてもなお,イギリス人一般は他人あるいは外国人に対してにこやかに接するという印象は変わりません

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