英国の学校教育−−1993年・秋

(Web版あとがき)

 7年前に記したレポートを見直してみて,あらためて時の流れを感じる。おしゃべり好きだったパットのお母さんは亡くなり,「悲しみだけが残された」と夫のペーターからカードが届いた。アランは家を買い,ますますハードに働いているらしい。私の勤務校も替わった。
 Web版公開にあたり,英国に関する最近の書物を意識して読んだ。当初は2000年10月の公開を予定していたが,諸般の事情で半年遅れとなった。現在では当時と異なる認識の部分もあるが,本文では1993年当時の印象を極力そのまま記してある。

 当時の英国は深刻な不況だった。いっぽう日本は,バブル経済がはじけていたものの,どこか楽天的だった。今や英国は元気を取り戻し,日本はバブルの後始末に苦しんでいる。
 と言いたいところだが,本当のところは日本も好調なところは絶好調なのだ。一部の絶好調と多くの不調を平均すれば,そう悪くはない。多くの人は「絶好調は一部だけ」と「正しく」認識しているから,いつまでも不況感をぬぐえない。「勝ち組」と「負け組」が冷酷に分かれるようになり,「みんなが好調」というのは幻想になったというのが,本当のところなのではないか。

 教育に限っても,今の日本が当時のイギリスのようになろうとしていると感じることは多い。IT(情報通信技術)などは言葉からして当時の英国の学校の後追いだし,義務教育段階での学校自由選択も,校長を民間から登用したり学校評議員会を設けるなどもそうだ。総合学習も日本ではこれからが本番である。だが,制度が続いていくためには,それを支持する思想が必要であることは言うまでもない。「違いがあるのが当たり前」という感覚を当たり前に持つことができるかどうか,「教師が生徒を評価するのは悪いことだから,全員に同じ成績をつける」などという考えは間違っていると言えるかどうか。このあたりが英国の教育に学ぶべきポイントではないか。旧来のやり方を変えるのは悪,という考え方はまだまだまだ根強い。

 1980年代までの日本人が書いた文章は,英国のイメージを「老大国」としてとらえるものばかりだった。その後は「古くて新しい」という英国礼賛が多くなり,それへの反動か一部には「意地悪」「人種差別的」という見方をする人もいる。共通するのは,「本当の英国はこうなんですよ」と啓蒙しようとする姿勢が,他の国に比して明らかに強いことではないだろうか。

 多くの人が,「日本と同じ島国」などと言って共通項を見つけようとする。だが,私が出会った英国人で大ブリテン島が島だなどと思っている人は皆無だった。彼らにとって島とは,マン島とかせいぜいアイルランドのことで,イギリスはヨーロッパ大陸と対等な「大陸」なのだ。迷いなくそう思える「自信」に,日本人は惹かれるのである。結局,日本人にとって英国は,「意識せずにはいられない,片思いの恋人」なのだろう。

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