英国の学校教育−−1993年・秋

(29)スペシャル

 11月18日(木曜日) 晴れて寒い。
 テレビでは,最高気温は5℃と予想しています。
 今日は,カーヒル・ハイスクールの近くにあるPEAR TREE SCHOOLという障害児学校に行きました。校長はGWILLIAM氏という大柄な男性です。午前中は年少のクラスで子どもたちと遊び,お茶のあとは近くのカトリック系の小学校まで歩いて体育館で体育です。体育教師のジョンが引率していきますが,彼はちょっととっつきにくい感じがする人です。
 前に行った小学校もそうでしたが,低年齢の学校では,外国人だからとか見学に来ているとかは関係なく,否応なしにそこの職員と同じように子どもたちと接しなくてはなりません。また,だからこそ「お客さん」ではない経験ができるのです。とはいえ,子ども8人と教員3人(私を含む)とで平均台をしたら,ふだん身体を動かしていない私は息が切れそうになりました。 

 その小学校からPEAR TREE SCHOOLまでは歩いて10分ほどの距離です。帰り道で,歩道にひざをついて青い顔をしているおじいさんに会いました。ジョンが駆け寄って肩を貸し,近くのコンサーバティブクラブという建物まで連れて行こうと歩き始めました。すると,通りかかった車が止まって,女性が降りてきたのです。彼女が「容態はどうですか?」とたずねていると,別の車がまた止まり,「どうしたのか?」と聞いて,近くの医者を連れてきてくれたのです。その間にジョンがコンサーバティブクラブから椅子を借りてきて,その椅子におじいさんを座らせているとすぐに救急車が来ました。この間,5分余りだったでしょうか。私は,おじいさんが倒れないように支える役でした。ジョンによれば,「あれは飲み過ぎで肝臓が悪いんだろう」ということです。
 日本ならどうでしょう。行き倒れの老人を介抱するのは,「経済成長と引き換えに捨ててきてしまった」などと形容されてしまう光景かも知れません。しかし,日本より先に経済成長をとげた英国ではその光景が残っているのです。「イギリスはやっぱりすごい国だ」と思いました。もしも,他人に無関心であることが経済成長の証しであるなら,それはなんともみじめでゆがんだことだと思います。 

 お昼は,仲良しになったティナと校長先生にはさまれてカレーを食べました。私が右手にフォークを持ってサラダを食べていると,ティナが「どうして左手で持たないの」と校長先生にたずねています。校長先生は「あのねティナ,人にはそれぞれのやり方があるんだよ」と説明しています。 

 午後は年長のクラスで明日ランチをつくるというので,野菜スープの準備。にんじん,じゃがいも,たまねぎの皮剥きをしました。そのあとは少し年下のクラスでケーキを焼いて,レシビに色塗り。そのあと,一番年少のクラスに行って,一緒にセンサーシアターに入りました。この部屋は,スイッチを入れるとディスコのように電球が点滅し,フラッシュが発光します。男の子に「高い高い」をしてやると大喜びで,何度も何度も「アゲイン」とせがまれてしまいました。

 この学校の校名には,障害児学校であることを示す言葉が入っていません。スペシャル・ニーズという言葉は教育現場でよく使われますが,これは発達障害や身体障害・情緒障害,さらには外国人で英語がわからないというような場合までも含まれる大変広い意味を持ちます。つまり,障害児学校は存在するのだけど,スペシャル・ニーズに対応する教育はすべての学校で行われるという,当たり前といえば当たり前のことが行われていると言えるのではないでしょうか。
 日本でも「統合教育」という言葉はよく使われますが,PEAR TREE SCHOOLのように日常的に近くの小学校と交流しているわけではないだろうし,英国の教育で言う「スペシャル」の範囲を非常に狭く考えているために,多くの人にとって「自分とは無縁のもの」という考えを持たせてしまっているのではないかと思います。

 今までの日本では,「個性」を持っているのは(それが社会的評価の高いものであれ低いものであれ)一部の人間であって,多くの人はその他大勢の中の一人として安心したりあきらめたりしてきたという感じがします。それは,定められた目標に向かって一丸となって突き進むためには効率のよい思考法だったかも知れませんが,低成長・高齢時代にはそろそろ見直した方がいいようです。会社の繁栄が即自分の幸せにはつながらないのですから。

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