英国の学校教育−−1993年・秋

(24)ブラックプールの老人

 11月14日(日曜日) 晴。
 けさは早くからアランの車でブラックプールに向かいました。彼が所属するブラスバンドがRemembrance Serviceで演奏するのです。Remembrance Serviceというのは,第一次世界大戦が1918年11月11日に終結したことを記念する戦没者追悼式なのです。女王が出席する追悼式は11月11日に行われるわけですが,ブラックプールの場合は出席者の便宜を図って日曜日に開催するということでした。 

 ブラックプールは,イングランド北部にある海岸沿いのリゾート地です。今から100年くらい前のヴィクトリア女王の時代,イギリスのレジャーが大衆化した頃に発展しました。日本でも数年前のバブル経済の頃から「リゾート」と称するものがあちらこちらに増えましたが,イギリスでは100年前がそうだったわけで,さすがに歴史が違います。
 南北に延びる海岸線に沿ってトラム(路面電車)の線路が走っていて,遊園地やリゾートホテルが立ち並んでいます。ブラックプールのシンボルはタワーで,これはエッフェル塔を小さくしたような展望台です。黒っぽい色ですが,建設100周年を記念して金色に塗り替えられると聞きました。見てみたいような気もするし,見たくないような気もします。

 海岸沿いの広場に慰霊塔が立っています。その前で追悼式がすすめられ,お祈りや献花が行われるのですが,西側の海から吹きつける強い風のために,供えられたポピーのリースが端からどんどん飛んでしまいます。11月半ばの風はもう冷たく,立っているのは少しつらくなった頃,追悼式が終わりパレードに移りました。「やっと終わる」と思ったら,このパレードというのが,退役軍人をはじめ,教会関係者やアランのようなブラスバンド,一般市民まで,いつ終わるとも知れず延々と続くのです。
 特に驚いたのは,軍艦のようなネズミ色の制服を着た少年少女の行進でした。軍の幼年学校のようなものかも知れませんが,その歩き方というのが,手を大きく振り,脚を大きく上げるいかにも軍隊式のものだったからです。一瞬,50年以上昔に戻ったような錯覚を覚えました。もちろんその頃には私は生まれていませんから,かつてどこかで見た(ナチスのヒトラー・ユーゲントだったかも知れない)映像を思い出していたわけですが,今まで知らなかったイギリスの一面を見た気がしました。別の言い方をすると,中身がファシズムか民主主義かは別にしてこういうものがあるのが多くの国で普通なのかも知れませんが,今の日本ではまず見かけない光景です。 

 行進の中に真っ赤なユニホームのアランを見つけ,責任を果たしたような気になって「さあ,お昼を食べて買い物でもしようか」と思い,歩きだそうとしたところ,近くに立っていたおじいさんがなれなれしそうに話しかけてきました。もちろん知らない人です。彼の名前はトミー。少し話を聞いてみると,第二次世界大戦の時にはインドにいて,戦後は学校で地理や歴史を教えていたそうです。年は68歳と言っていましたが,顔のしわなどを見るともっと年上に見えます。旅行が好きで,80カ国に行ったことがあり,日本へも3回旅行したと言っていました。今は離婚して,グラスゴーのおばさんのところにいるのだそうです。
 トミーはとても話好きなおじいさんで,私はほとんど聞き役で夕方までつきあってしまいました。旅行が好きというだけあって,彼はブラックプールの古い建物のこともよく知っています。イギリスは第一次世界大戦でドイツと戦って大きな被害を受け,第二次世界大戦でもドイツの空襲を受けたわけですが,イギリス人がドイツをどう思っているかと問うと,「まぁ確かに戦争をしたのは事実だけど,親戚みたいなものだからドイツ人と結婚したりすることも結構多い」というのが彼の言葉でした。

 夕食の時,アランは「おじいさんと並んで歩いているのを見て,いったい何をしてるのかと思ったよ」と言います。いきさつを話すと大笑いしながらも「彼はきっと寂しかったに違いない。自分も同じ状況なら同じようにつきあったと思うよ」とうなずいていました。

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