5.国際経済

(2)戦後経済体制

 第2次世界大戦の原因はいくつもあげられるが,経済的な原因としては,次のことが挙げられる。世界大恐慌後に,各国が閉鎖的なブロック経済を形成して自国グループが生き残ろうとしたために,貿易が縮小したことである。ブロック経済とは,同一通貨圏(たとえばイギリスのポンドブロック,アメリカのドルブロックなど)でブロック経済圏を形成して,ブロック内の貿易に置いては関税を撤廃する一方,ブロック外との貿易には高率の関税を課して,外国からの商品流入を阻止したやり方である。また各国は,自国通貨の切り下げにより,輸出に有利な状況をつくろうとした。ブロック経済は,ブロック間の対立と,世界経済の縮小をもたらし,それが戦争の一因となった。

GATT(貿易と関税に関する一般協定)
 1947年に結ばれた。,「自由・多角・無差別の原則で,貿易を拡大する」ことをめざす
自由とは・・関税引き下げ,非関税障壁(数量制限,煩雑な手続き,輸入課徴金など)の撤廃。
多角とは・・二国間でなく,多国間の交渉によって貿易の問題を解決しようとすること。これをラウンド交渉という。ラウンドとは,丸いテーブルを指す。二国間では,強いほうの国に有利な形で決定されるおそれがあるので,「日本と米国とEUと発展途上国」と言う具合に,多くの国々が参加して公平な解決をめざす。ラウンド交渉には,ケネディ・ラウンド,東京ラウンド,ウルグアイ・ラウンドがある。
無差別とは・・ある国に与えた有利な待遇)関税を下げるなど)は,他のすべての国にも適用されるという最恵国待遇をいう。例外は,発展途上国からの輸入品は関税率を下げるなどがある。これは発展途上国を保護するためである。

IMF(国際通貨基金)
 1944年のブレトンウッズ協定によって創設された。その特徴は
(1)「金1オンス=35ドル」と定めた金ドル本位制
(2)ドルと各国通貨の交換は固定為替相場制
であり,「為替の安定と自由化によって,自由貿易を拡大する」ことを目的とした。

IBRD(国際復興開発銀行,別名・世界銀行)
 戦後復興と発展途上国の開発を目的とする。日本が東海道新幹線を建設する際にも,IBRDから融資を受けた。

 IMFとGATTはいずれも,自由貿易の拡大をめざしたものである。これをIMF=GATT体制,または単にIMF体制という。IMF=GATT体制の前提は,アメリカ経済と,その通貨ドルが,圧倒的な力を持っていることであった。しかし,西欧が次第に復興し,アメリカも多額の経済援助や軍事支出により,経済力の優位性が絶対的ではなくなってきた。軍事支出に関しては,とくに1965年以降のベトナム戦争への深入り(北爆)が影響している。こうしてドルがアメリカから流出するようになり,アメリカの国際収支の赤字をもたらした。流出したドルが金(ゴールド)に換えられることにより,アメリカから金が流出することにつながった。各国がドルを金に換えなければ金の流出は起こらないのだが,アメリカの経済の強さが絶対的なものでなくなり,アメリカの将来に不安を感じるようになると,ドルを金に換えようとする。金は,どんな時代・どんな国においても希少価値が高く,安心できる資産だからである。

1970年代の状況
 1971年8月,アメリカは,ドルと金の交換停止を発表した。これをドル=ショック,または当時の大統領の名からニクソン=ショックという。これより前の1968年に,アメリカは民間に対する金・ドルの交換をすでに停止していたが,1971年の交換停止は,外国の公的機関(中央銀行など)に対してもドルと金の交換を停止したものであった。固定為替相場制は,ドルが金と交換できることを前提としており,このとき主要国は,一時的に変動相場制を採用した。
 1971年12月には,「金1オンス=38ドル,1ドル=308円」の新しい為替相場が設定され,固定相場制に復帰した。これは,ドル=ショック前に比べて,ドルを他国通貨に対して切り下げ,ドル安の状態になったということである。このときの会議はスミソニアン博物館で開かれたので,この協定をスミソニアン協定という。

 こののち1973年2月には,各国は変動相場制に移行した。もっとも,この変動相場制が正式に承認されたのは1976年1月のことである。1976年1月には,IMFのSDR(特別引出権)の役割拡大もはかられた。SDRとは,IMF加盟国相互間の資金融通制度である。
 外貨準備に余裕がない(たとえば国際収支が赤字である)国は,外貨準備に余裕のある国にSDRを引き渡し,その代わりにドルなどの自由に交換可能な通貨を受け取り対外的な支払いに充てることができる。国際収支が赤字の国ならば,SDRの使用は無制限である。またSDRを使用してドルなどの通貨を受け取っても,通常の借り入れとは違い,通貨を引き渡してくれた国にその通貨を返済する義務はなく,IMFに対して金利を支払い続ける必要があるだけである。SDRを使用した国が,のちに他の国からSDRを受け取ると,金利を払う必要がなくなり,実質的に返済をおこなったことになる。
 当初は,SDRを対価に外貨を引き出す特別な権利という性格だった(そのためRight権利という名がついている)が,現在は,通貨当局間の債権・債務の決済や,融資・援助などに直接使用できる資産となっている。いわば,国際経済におけるエスペラント語のような存在といえる。

1980年代の状況
 1982年にアメリカ大統領になったレーガンは,「強いアメリカ」を復活させようとした。そしてソ連に対抗する軍事力増強,自助努力重視の小さな政府,減税をすすめた。その結果,財政赤字は拡大した。また,日本などに比べて高金利政策がとられたため,各国から資金が流入し,ドル高となった。これはアメリカの輸出に不利な状況であり,貿易赤字が急増した。このような,財政赤字と貿易赤字を「双子の赤字」とよんだ。1985年秋のプラザ合意(円高ドル安への誘導合意)は,このような状況の下でおこなわれたものである。

GATTからWTOへ
 GATTは自由貿易拡大をめざしたが,いくつかの例外があった。それは次のようなものである。
 発展途上国への優遇措置(一般特恵)
 農産物は輸入制限可能
 緊急輸入制限(セーフガード)
しかし,1980年代以降は,「農産物も自由化すべき」「モノだけでなく,サービスや知的所有権も対象とすべき」という声が強まった。それらはGATTのウルグアイ=ラウンドにも盛り込まれていったが,1995年には,GATTが発展改組したかたちでWTO(世界貿易機関)が発足した。

農産物自由化の例 乳製品など,輸入制限してきた品目を関税化する。ECの輸出補助金を削減する。日本のコメ輸入は,ミニマム=アクセス(最低輸入量)を年々増やし,後には関税化する。
知的所有権とは コンピュータ・プログラムやゲームソフトなどを著作物として保護,偽ブランド商品を犯罪として処罰,
サービスの自由化とは 外国人労働者に対し,自国民より不利でない待遇を与える(内国民待遇),ある国の国民に与えた利益は他国にも与える(最恵国待遇)など

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