英国の学校教育−−1993年・秋

(20)子どもの英語

 11月10日(水曜日) 晴。
 今日もリビー小学校に行きます。午前中は小学校の中級のクラス(3,4年生に相当)でスー先生の算数の授業,つづいてジュディス先生のクリエイティブの授業を見せてもらいました。
 このクリエイティブというのは,いろんなことをやるらしいのですが今日は作文でした。「I think of ・・・, I hear ・・・」という形の文章を作っていくのです。これなら作文が苦手な子も書きやすいという配慮でしょうか。たとえばある子どもは「学校のことを考えるとき,チョークのキーキーいう音が聞こえる」と書いています。
 私なら,「学校のことを考えるとき,タバコの煙を吐く音が聞こえる」と書きたいところです。わが校もイギリスの学校のように喫煙者が減って喫煙室以外は禁煙になってほしい・・・。 

 午後は上級の2学年を一緒にして(ということは3年生から6年生までということですが)日本のことについて話しました。まず「Hello」は「こんにちわ」というのだと教えるとみんなが声を揃えて「コンニチワ」とあいさつ。
 ちょうど壁に世界地図があったので,「ここから来たんだよ」と日本の場所を指さしました。言葉の話から始めることにして,日本語には3種類の文字があると説明。「英国」と書いてユナイテッド・キングダムをあらわすこと,ひらがなは漢字から変化したもので普通は漢字とひらがなを使うこと,カタカナは外来語に使うことを話していきました。アルファベット以外の文字を知らない英国の子どもにとっては,漢字もひらがなもまるで魔法の文字に見えるかも知れません。
 ひととおり話が終わって,子どもたちからの質問の番です。「何々は日本語で何というの?」という質問がいくつかありました。「何々」のところは,「Good Morning」だったり「Good Bye」であったり「School」であったりしました。カーヒルハイスクールで同じような時間をもらったときは「学校の近くに火山があるか」とか塾のことを聞かれましたが,やはり小学校だとこんなところでしょう。
 ある男の子は「どこのサッカーチームのサポーターですか」と質問しました。これはもしも1年前だったら私には理解できない質問だったでしょう。Jリーグのおかげで,サポーターというのがファンを意味することをこの齢になって知ったのですから。
 その質問への答ですが,私は特定のチームのサポーターではないので,「日本では今年からプロサッカーがスタートしました。私の住む町にはプロ野球チームとプロサッカーチームが一つずつあります」と説明しました。でも,あとで考えると「プロ野球」とは何のことか,イギリスの子どもたちにはわかってないような気もします。

 それにしても子どもの英語というのは聞き取りにくいものです。こちらの英語力などはまったく考慮してくれないのですから。一人の男の子などはベラベラベラと何か質問して先生に「そういう英語は使ってはいけません」などと注意されています。そのあと先生は私に向かって「気にしないでね」と言いましたが,気にするもなにも,まったく聞き取れなかったのです。
 何度も手を上げて質問しようとする子もいれば,隅の方で遠慮がちに手を上げている子どももいるのは日本とまったく同じでした。できればいろんな子に質問してもらおうと努力しましたが,予定していた20分をはるかにオーバーして,気がつくと30分以上が過ぎていました。
 午後のブレイクのとき雑談していると,「東京ではみんなマスクをして暮らしているというのは本当か」などと真剣な顔で聞かれました。「今はそんなことはないです」と答えましたが,確かに中学校の地理の教科書でマスクをして登校する子どもの写真が載っているのがあります。もっともそれは1970年代という説明付きでしたが。

 このリビー小学校では空き時間に本棚の本をたくさん読ませてもらいました。とくにクロムウェルなど清教徒革命の時期の話がカラーの挿し絵付きで読めたのはとても勉強になりました。本棚から手にとった本をぱらぱらとめくっていると環境保護の話が載っていて(環境に関する本はとてもたくさんあります),その中に「日本の金持ちは何万ドルもするパンダの毛皮をリビングに敷いている」と書いてあるのがあったのはショックでした。そういうお金持ちがいるかどうかは知りませんが,「日本人ならやりかねない」というニュアンスを感じたのがショックだったのです。環境保護に対する関心は日本よりはるかに強いと感じます。 

 最後の授業は体育でした。小さな学校なので体育はどうするのだろうと思っていたら,学校の前にある広い広い芝生の広場(学校の敷地でなく村の広場という感じで隅には池があります)がグラウンドに早変わりしました。
 日本では公園の芝生には立入禁止だし,青々とした芝を見るのはゴルフ場かサッカー場くらいですが、こうして芝生の上を歩くとなんだか豊かな気分になります。ほこりも立たないし,転んでも痛くないでしょう。ただ,草の香りがムンムンするのと,土が湿っているので靴の底がツルツルだと滑ります。
 男子はこの広場でサッカーです。子どもたちはみんなユニホームからシューズまでサッカー選手そのものの格好で校舎から出てきました。ユニホームにはちゃんとSHARPとかJVCというスポンサー名が書いてあります。ゴールは日本の学校のような重い金属製でなくて,棒を2本立てただけのものですが,子どもたちは芝生に置いたパイロンの間をドリブルしながら上手にシュートを決めています。やっぱり,サッカーはこの国で生まれたスポーツだと思います。
 女子は学校の裏庭でネットボール。これはミニバスケットボールとドッジボールを組み合わせたようなゲームで,女子には一番人気のあるスポーツだということでした。確かに,勝ったチームの喜びようはものすごいものです。 

 帰りはここの先生にセントアンズの町まで送ってもらいました。私が広島から来たと言うと,「広島の人は今でもアメリカに対して強い感情(Strong Feelingという英語でしたが,うまい訳語を考えつきません)を持っているの?」と聞かれました。私が「アメリカに対してと言うより,核兵器そのものに対して怒りを持っていると思う」と言うと,「そして,戦争全体に対してでしょう」と理解してくれました。
 彼女とは,平和教育の話で盛り上がりました。私が「これまで日本では,自分たちが戦争の被害を受けたという教育をしてきたけれど,実は加害者でもあったという認識が強くなってきて,近年では周囲の国への侵略の歴史をきちんと教えようとしている」と言うと,「どこの国でもそういう失敗はあるものよ」と彼女はさらりと言いました。侵略と認めることは日本がダメだと認めること(失敗したからもうだめ)にはならないのだと,元気が出る話でした。 

 もちろん,英国自身が自分の国の戦争(たとえば清との戦争やフォークランド戦争)をどう考えているのかと問うこともできます。けれども,多くの人種,民族が住むこの国は,やはりいろんな価値観を認めあっているという点で,強いと思わざるを得ません。たとえばリビー小学校は校名に"C.E"(Church of England"が入っているように英国国教会の学校ですが,「スーもジュディスもカトリックのはずよ」とこの先生は言っていました。
 それがさらりと言えることは,すごいことだと思います。違う種類の人間の存在を認めているということですから。日本では,たとえば在日韓国人が通名を名乗っているうちは「日本人と同じだから」同じようにつき合うのに,本名を名乗った途端,自分とは違う種類の人間という目で見る人が多いのが現状ではないでしょうか。

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