英国の学校教育−−1993年・秋

(18)カメラ修理

 11月8日(月曜日) 曇り少し晴。
 学校研修が後半に入ります。前半の2週間はずっとカーヒルハイスクールでしたが,後半はホストファミリーのアランがいろいろアレンジしてくれて,小学校や養護学校,他のセカンダリースクールにも行くことができました。そして学校でもそれ以外でも,後半にはとても印象に残るできごとがいくつもありました。 

 さて,久しぶりにカーヒルハイスクールの授業に参加しました。最初はアランの化学の授業です。10時25分から3コマ連続の長い授業です。最初にアランがノートを生徒に返します。先にノートを返しておいて,出席の返事の代わりに生徒に自分のノートの評価を言わせ,それをメモしています。AプラスとかCマイナスとか生徒が答えています。日本なら,自分の評価をみんなに知られるのをためらう子もいるでしょうし,教員が先に自分の手帳に評価をメモしているはずです。英国の先生の方が生徒を信頼しているのかな。彼は他の先生にくらべるとノートやテストの採点などの仕事を家に持ち帰っているようです。しかし夕方5時を過ぎても学校に残って仕事しているということはありません。 

 授業のほうは電子についての内容でした。電子の大きさは,とか,目で見えるか,とか,周期表を見ながら電子,用紙,中性子の数を質問していきます。教科書や板書を使わず,どんどん質問しながら進めていきます。私は「水兵リーベ僕の船七曲がりシップスクラークか」とおぼえましたが,英国では何か記憶法があるのでしょうか,聞きそびれました。 

 私にとっては,化学の授業であると同時に英語の授業のようなものです。イギリス人の書く文字はあまりきれいとは言えないことが多いですが,彼の板書は私にもよくわかるきれいな字です。たとえば ISOTOPES(同位体)の説明の板書は

"Atoms must have the same number of elements as protons but may not have the same number of neutrons. same number protons, same atomic number but different number of neutron (different mass number) are called ISOTOPES."

というぐあいです。 

 11時30分になって実験になりました。試験管に水を一杯に入れて置いて,水の中に塩を入れても水があふれないのをまず見せます。次にビーカーにガラス玉(水のモデル)を入れて一杯にし,その上から茶色の粉(塩のモデル)を入れても粉が隙間にはいるのであふれないというのがわかります。ガラス玉は日本ならビー玉というところですが,ビー玉よりは少し大きいようです。
 そのあとは電子の配置を板書しましたが,重要事項の説明の文章は板書せず,ゆっくりしゃべりながらノートに書かせています。これは,意外と難しいことです。私の学校の授業では生徒が黒板の板書を一字一句写すことに一所懸命で,黒板を写せばそれで満足するような生徒がいます。板書という「手段」が,まるで「目的」であるかのようです。これは日本の学校でよく見られる悩みではないでしょうか。
 学校に戻ったら,アランのやり方はまねしてみようと思います。ただ,このクラスはbrightグループの2番目のクラスで,もっと下のクラスでは違ったやり方をしているのかも知れませんが。 

 昼食の時,アランが左胸に紙でできた赤い花をつけていました。「それは何ですか」と尋ねると,第一次世界大戦が11月11日に終わったメモリアルのためだそうです。この花は大戦の戦場に咲いていたポピーです。午後のアッセンブリーでも,「まもなく第一次世界大戦の終結した日がやってくる。第二次世界大戦や現代の北アイルランド問題でも多くの人が亡くなっている」という話でした。今日は神様に平和を祈って終わりました。 

 今日は結局一日中アランの化学の授業ばかりを見せてもらいましたが,最後の時間だけはYear11の地学でした。授業の最初に彼は「イギリスと日本の大きな違いの一つは1クラスの人数だ。日本では38人(これは私のクラスの人数です)だそうだ。君たちは24人で勉強できて幸せだな」と言っていました。黙って説明を聞いて受験勉強に励む生徒ばかりなら人数が多くてもあまり関係ないのかも知れませんが,教員の言動に左右されやすい生徒を把握しようとすると,確かに25人くらいがちょうどいい感じです。
 授業のテーマは「ROCK CYCLE AND EARTH STRUCTURE」でした。この時間はまずTypes of Rock 1)IGNEOUS 2)SEDIMENTARY 3)METAMORPHIC(辞書で調べると変成岩のことでした)と板書。石が3つ配られて「どれが1か,2か,3か。その理由は?」とアランが尋ねますが,さっそく石でお手玉を始める子もいます。イギリスの子どももお手玉をするとは・・・。 

 今日は大切な用事があります。実はダブリンでカメラを落としてしまって,シャッターがおりなくなったのです。それで,ちょうどアランもカメラ屋に用事があるからというので,アランの家があるセントアンズに戻ったあとカメラ屋に直行。この町では一番大きいカメラ屋だそうで,看板には「修理OK」などと書いてあります。アランの用事は,電池を替えてもらうだけですぐ済みました。次は私です。重いカメラをどっこいしょとカウンターの上に乗せてシャッターが下りないことを説明すると,カメラ屋のご主人は,「これはここでは直せない。たぶんイングランドのどこでも直せないだろう。作った国に送って直してもらうことになるよ」とあっさり言います。
 作った国といったって,これは20年ほど前のミノルタのカメラ,つまり日本製です。日本に送って直してもらえる頃には,私が日本に帰っているでしょう。とんだところで日本の技術の優秀さを身をもって知ることになりました。そのあとの数週間は,結局サブカメラを使ったのですが,そのカメラも帰国直前にロンドンのインド料理店に忘れてきてしまいました。
 近くのスーパーマーケット(Safeway)でコンタクトレンズのクリーナーや歯みがき(つまりダブリンに忘れてきた日用品)を買い,ようやく安心して夜が迎えられるようになりました。

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