英国の学校教育−−1993年・秋

(14)北アイルランド問題

 10月23日(土曜日) さわやかな晴です。
 目覚めると,昨日までと感じが違います。そうです。昨日は初めてマクドゥーガル先生の家に泊まったのでした。長方形の部屋の短い辺に沿ってベッドが一つあり,足の側にあまり暖まらないヒーター,反対側の隅に洗面台と鏡。そのあいだに引き出しの付いた机が置いてあります。机の上には2年前にステイしたという日本の男性のお土産(剣道で頭に巻く手ぬぐい)が敷いてありました。
 シャワーを浴びて朝食です。トーストとチーズと紅茶というメニューで,これは若い男性の一人暮らしだからまぁしかたないところでしょう。レコード(コンパクトディスクではありません)でフォーレのレクイエムがかかっています。彼のお気に入りの曲だそうです。私も大好きな曲なので感激でした。「英国ではみんなたくさんレコードを持っているからなかなかCDを使おうとしない」と彼は言います。コンパクトディスクの出始めの頃は日本でも同じだったはずですが,いつのまにかすっかりコンパクトディスク全盛でLPレコードは忘れ去られようとしています。もっとも,英国だってレコード店に行けばコンパクトディスクはたくさん売られているのですから,これは彼の個人的な考え方かも知れません。 

 さて,11時にブラックプールに集合し,12時前にはマンチェスターのノボテルホテルに着いていました。13時にはダービー班も到着し,およそ3週間ぶりで20人が顔を合わせたのです。みんな元気そうで,とてもなつかしいです。
 このホテルは,マンチェスターとはいっても西の郊外にあります。バスで街に出た人もいたようですが,私は数人でホテル近くを散歩したあと,ミネラルウオーターとクリスプを買って部屋に入りました。クリスプは日本で言うポテトチップですが,日本のような大きな袋ではなく,25グラムか28グラムくらいの小袋なのですぐに空になってしまいます。(私はポテトチップが大好きなので……)。

 テレビをつけると,北アイルランドのベルファストで爆発があり,8人死亡,50人が怪我をしたというニュースを繰り返し報じています。この場合の爆発とは,事故ではなくて,北アイルランドをめぐって対立するプロテスタントとカトリックの間で起こされた爆弾事件によるものです。この地域をアルスター(ULSTER)と言うのだということも,英国に来て初めて知りました。

 北アイルランド問題というのは,英国に支配されていたアイルランド(カトリックが多い)が独立したとき,プロテスタントが多かったアルスター地方は英国の一部となり,英国から分離独立してアイルランド共和国と一体化することを求めるカトリックと,英国の一部にとどまろうとするプロテスタントとが対立を続けている問題のことです。もっと正確な表現もできるのでしょうが,残念ながら私の知識はこの程度しかありませんでしたので,いくつかの本でアイルランドの歴史を調べてみました。今世紀に入って以降では 

<アイルランド>
1910年代  植民地支配していた英国への抵抗運動がつづく
1916年   イースター峰起(ダブリンでの独立運動)
1921年   アイルランド自由国が成立(英国の自治領)
1937年   エール共和国(英国からの独立を達成)
1949年   アイルランド共和国となる 

<北アイルランド>
1921年   英国からの移住者(プロテスタント)が多く連合王国に残留
1968−69年 北アイルランドでカトリックへの迫害が激化
        カトリック保護のため英国軍が派遣されるが迫害やまず
1972年   紛争激化により英国政府の直接統治開始(現在までつづく)
        (法的にはアイルランド地方自治法に基づき上下二院がおかれ,
        総督のもとで首相が行政を担当するとなっているが)
1975年   カトリックへの雇用差別が禁止される
1985年   英国,アイルランド両政府間で協議会を設け話し合いの合意
        しかし両派住民の対立はつづいている 

 以前は,IRA(北アイルランドのカトリックの過激派組織)だけが爆弾事件を起こしていると思っていたのですが,英国でニュースや新聞を見ていると,カトリック側とプロテスタント側の双方が同じようなことをしていることがわかってきました。プロテスタント側の組織としてはUDA(アルスター防衛同盟)というのがあります。
 つまり,カトリック側はプロテスタントが多く集まる(と自らが思う)レストランに爆弾を仕掛けたりするのです。ところが,そこにいるのはプロテスタントばかりとは限らず,カトリック教徒も犠牲になる場合があります。逆にプロテスタントがカトリックの多く集まる店を攻撃したらプロテスタントがいたということも・・・。しかもレストランなどが狙われれば,子どもが犠牲になることも多いのです。
 誰もが何とかしたいと思っているのになかなか解決できない,根の深い問題です。カトリックとプロテスタントという宗教上の対立,それもキリスト教どうしの対立だけに余計に難しいのかも知れません。親戚のけんかが他人どうしのけんかより激しいように・・・。 

 後半の研修で,別の学校の政治の先生と知り合いました。彼はスコットランド人で,「おれはスコティッシュだからけちだよ」とよく言っていましたが,その彼が「アイルランドの人間は,北アイルランドに住んでいる者も含めて,イングランドのことを嫌っているんだ」と言っていました。北アイルランドの人がイングランドをどう思っているかはわかりませんが,アイルランド共和国の人の英国に対する感情には複雑なものがあるようです。それは経済や言葉や地名などいろんな面であらわれています。ダブリンのところで書きたいと思います。

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