英国の学校教育−−1993年・秋

(4)日本の学校は遅れてる

 13時05分のベルでほとんどの先生が授業に行ってしまいました。昨日からお茶をたくさん飲んでいるせいでしょうか,やたらとトイレに行きたくなります。午後はエコノミクスの授業を見せてあげようと,オリバー先生の同僚が探してくれていたのですが,どうしても見つからないと言われました。「コンピュータの授業を見る気はあるか」と聞かれたので,喜んで見せてもらうことにしました。
 この学校はインフォメーション・テクノロジー(IT)に力を入れていて,パソコンが110台あまりあります。2階の突き当たりにコンピュータ教室がありました。11歳の生徒22人がワードプロセッサーを使っていました。3人で1台使っているところもあれば,1人1台の子もいます。多くは2人1台でわいわい言いながらキーをたたいています。使っているソフトウェアはMS-WORDでした。EXAMPLE2.DOCというファイルの英文に間違いがたくさん作ってあり,原稿と見くらべながら直していくのです。たとえば,原稿はTAB KEYとなっているのに画面がTABS KEYとなっているという具合です。この場合はSを消せばいいわけです。 
 生徒は質問があると黙って手をあげて,先生が来てくれるのをじっと待っています。これはどの教科でも同じで,日本のように「はい,はい」と元気がよいのがほめられるのと大きく違っています。先生は,説明しながらとにかく生徒をほめます。"Right!"とか,"Excellent"とか,ちょっとしたことで大げさにほめ,しかも生徒も白けた感じでなくほめられれば素直にうれしそうにしていました。常に誰かが手をあげているような状態です。

 コンピュータはNiMBUSのPC186という機種で,13台あります。1台だけあるプリンタはSTARでした。どのパソコンからも1台のプリンタにつながるようになっています。課題が終わった子から先生に言って,自分の名前を入れてプリントアウトしてもらっていました。日本の私の回りではパソコン2台にプリンタ1台という学校が多いように感じますが,本当はプリンタの必要性はそれほど大きくないはずだと思います。
 課題がすんだ女子生徒が紙のごみを男子に投げたりしています。連続紙の端を食べてみたり(!)目隠しをしてみたりというのはどこの国の子どもも同じだなぁと感じました。そうしているうちに14時05分のベルが鳴り,「プリントアウトしたい者は急いでやり,残りの者は部屋を出るように」と先生が言って生徒が出ていきました。
 先生に,この学校ではいつからこのような教育をやっているのですかと尋ねると,「15年前から」という答でした。彼は15年前に自分が組み立てたというパソコンを部屋の隅の倉庫の中からひっぱり出して見せてくれました。英国では,8088プロセッサの時代からコンピュータ教育が行われてきたそうです。「日本では今年から中学校でインフォメーション・テクノロジーが始まったばかりです」と言うと彼は驚きの表情を見せ,「私の学校にもコンピュータは30台くらいありますが,スタンドアロンでハードディスクもほとんどついていません」と言うと「ハードディスクなしでいったいどうやって使うのか」と絶句していました。

 一般に,英国人には「日本はテレコミュニケーションが非常に発達した国だ」という印象があるようです。日本の学校でも当然コンピュータが活用されていると思っている人がたくさんいました。本当にそうであればうれしいのですが,現実は,コンピュータを使う教育は正統派ではないと思われたり,一部のマニアックな教員がやっていると思われている場合も多いと感じざるを得ません。もちろん,世の中全体の変化の中で,状況は好転してきているとは思いますが。 

 ティータイムの後,6thフォームのテクノロジーを見せてもらいました。6thフォームは義務教育修了後の2年間のコースで,大学進学に向けての勉強をします。入試に必要な3−4科目しか勉強しないので,日本でいうと大学のゼミのような感じですし,制服もありません。義務教育の生徒と1−2歳しか違わないのに,はるかに大人びて見えます。この授業の生徒は8人でした。MS-Windows3.1上でMS-WORKS2.0を使ってデータベースの作成をしていました。この部屋のマシンは386でした。
 先生が「こっちの方がおもしろいだろう」と,シャーロックホームズの推理ゲームやシェアウェアが入ったCD−ROMを使わせてくれました。確かにおもしろい! ホームズとワトソンというおなじみの登場人物で,持ち物をマウスでクリックすると手がかりが隠されているというものでした。

 後日見せてもらったソフトウェアでおもしろいと思ったものを2つ紹介しておきましょう。一つは,各国語の文章を一定時間読んで(その時間は調節できる)単語が消えたり暗号化されたり行が入れ替わった文を正しく直すというソフトウェア。なかなかおもしろかったですが,もう一つはあっと驚くほどすごいものでした。マシンはIBMのPS1,ソニーのレーザーディスクのような巨大CD−ROMがついていて録音も可能というものでした。ホテルやバーなどいろいろなシチュエーションでフランス語の発音が聞こえ,英語またはフランス語のつづりも表示される(消すこともできる)というものです。日本のFM-TOWNSなどでも似たようなことはできるのでしょうが,学校で実際に使われているのを見ると感動ものでした。プレストン大学が開発したシステムだそうです。

 さて,15時20分に最後の授業が終わりました。掃除もホームルームもなく,生徒たちは校門に向かって駆けていきます。校門付近には二階建てバスが何台も待機していて,15時30分までには次々に発車していきました。中には徒歩や自転車で通学している子もいます。わずか10分足らずで,学校からは生徒の姿がほとんどなくなるのでした。クラブ活動がないわけではありません。スポーツや音楽などクラブはたくさんあり,校内の廊下の壁にはクラブの写真がたくさん貼ってあります。(学校だけでなく,英国の家庭では,家族や先祖の写真が驚くほどたくさん飾られています。ぜひまねしようと思いました)。クラブ活動はありますが練習は週に1回程度で,放課後部室に集まっておしゃべりするというようなことはありません。

 英国の先生たちは昼間はほとんど授業ばかりしていますが,授業が終わればすぐに下校してしまい,16時には掃除のスタッフがやってきて職員室も空っぽになってしまうくらいです。曜日によっては教科や全体の職員会議があります。今日はテクノロジーのミーティングがあるのでオリバー先生はそれに出ないといけません。と言ってもミーティングが終わったのは16時30分でした。日本なら,この時間から会議が始まるかも? ともあれ,17時30分には帰宅することができました。

 夕食はギャモン(ポークハム)にパイナップルをのせたもの,ヌードルの油炒め,オニオンの油炒めで,デザートは甘いパイでした。食後のテレビが「東京の南方海上でマグニチュード7以上の地震があった。Seriousな被害が出ている」と伝えていましたが映像が出なかったのでどんな被害かはわかりません(帰国後に確かめると特に被害はなかったとか)。ロシアのエリツィン大統領が訪日したニュースの映像は出ました。(何気なくエリツィンと書きますが,字幕はYeltinとなっています。これをエリツィンと読んでいいんでしょうか)。

 こうして,私の長い長い学校研修初日は終わったのでした。

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